書は人となり。持ち前の個性や資質が素直に又、芸術的に表現されてこそ崇高な書。自身の教養と感性を高めること、何より古典より学ぶ、歴史より学ぶ事につきます。古典の書物などより、時を超え時代を遡ると現代が鮮明に観てしまう体験をお持ちお思います、何事にも古典は知性の師、創造の師。同様に書を学ぶ、書も同様、古典の名筆が南青山書画院にて書道教室の師となり、講師は学ばれます方々の個性と資質を尊重して控え指南いたします。自己と向き合う有意義な時間は南青山書画院の書道教室。
楷書の名前の由来は、古来より中国で「学問の木」と称される「楷樹」の木の葉が、規則正しく育つ様から名付けられたと言われています。現代における正書体とされ、三過折法(点画を起筆、送筆、収筆の過程に分けて書く)を基に書かれたものを指します。とはいうものの、書き手によって書風はさまざまです。『九成宮醴泉銘』の謹厳なる美、『孔子廟堂碑』の温雅、『造像記』の野趣や『建中告身帖』の重厚感など、臨書を通して様々な美の姿を学んでいきます。
行書を完成まで導いたとされる東晋時代の王羲之は、『蘭亭序』という至上の名品を残しました。曲水の宴を催した際の感興が、その筆蹟に宿り満ちています。これを臨書することで私たちは、この感興を追体験するのです。この他、中国宋代の黄庭堅の暢びやかな律動や、技巧を駆使した米芾の運筆法、空海が最澄に宛てた手紙『風信帖』の知性に満ちた深淵なる美など、古代の息吹を筆蹟から味わい学んでいきます。
草書とは、行書と同じく隷書を速書きしたところから生まれたものです。速書きの必要性から生まれた「くずし」を知ることで、古い書簡や古文書などを読むことも可能となってきます。書論としても名高い孫過庭の『書譜』では、躍動感に満ちた運筆を辿りながら、書の学び方や捉え方などに迫る文意にも興味が及びます。奔放で自由闊達な懐素の『自叙帖』、意のままに筆を運ぶ黄庭堅の『李太白憶旧遊詩巻』など、心躍らせる運筆に書の真髄を感じることでしょう。
隷書は、漢代に石碑を中心として隆盛しました。現代に於いても様々な題字などに用いられるこの書体は、水平垂直を基本として、逆筆蔵鋒、一字一波と規則的な運筆が特徴です。謹厳で典麗なる美の完成形とされる『曹全碑』、雄渾で正気に満ちた鄧石如の『崔子玉座右銘』などから、豊かな線活動を学んでいきます。
篆書とは、漢字の最古の書体である甲骨文、その後の金文や大篆、小篆を含めた総称です。特に、清代にリバイバルした篆書の名品群は、脚長にデフォルメされて観るものを魅了します。鄧石如の『白氏草堂記』や呉昌碩が臨書した『石鼓文』などを学ぶことは、卓越した造形感覚を養うのに最適と言えるでしょう。
仮名は、平安時代の王朝文化を礎として、日本独自の美意識が結集した文字と言えるでしょう。和歌の発展と共に表現も多岐に及び、行書きから散らし書きへと展開していきます。古今和歌集最古の写本である『高野切』や、散らし書きの名品『寸松庵色紙』、生彩を放つ『関戸本古今集』などから、連綿に見られる流動美や「間」の取り方、全体構成の妙味などを味わいながら学んでいきます。
南青山書画院の水墨画書道教室では、「芥子園画伝」を基礎とし、山水画・花鳥風月・人物など画題を通し学びます。墨は単色の黒ながら、墨は五彩を放ち、大胆にも繊細にも、奥深い表現は精神性が際立つ世界です。
南青山書画院の書道教室にて師範を目指す。 書道師範課程は基本的に通常の基本書道教室と同様に授業は進行します。 師範課程にてお始めになる事の、大きな違いは数多くの書籍が渡され、 学び進める内容が幅広く深く修得できます。